副島雄一氏は、スマートフォンゲームのアプリ開発会社の取締役を中心に、キャラクタービジネスの会社など、7社で取締役を務める。
そこでの主な仕事は経営支援であり、一部ゲームアプリの現場プロデューサーも担当する。
またそれとは別に、様々な相談が副島氏の元に舞い込む。あるときはメーカーの海外支社立ち上げ。あるときは企業のアプリプラットフォーム設計と資金決済法など法務対応。その他大型イベントコンテンツの買収など、「この件は誰に相談したらいいんだ…?」という相談が舞い込む仕事人でもある。
さらに、多忙な仕事と平行して、週に3日は朝5時に起き、格闘技の練習も欠かさない。
まさに、枠にとらわれず、新しい働き方や仕事を開発しつづける、副島氏へのロングインタビューを掲載します。
第一回は、副島氏のこれまでのキャリアや身についたスキル、経験について迫ります。
3Dのデザイナー兼、事業立ち上げに熱中する19歳
Q:副島さんのキャリアはどこから始まったんでしょうか?
副島 雄一さん(以下副島):
私のキャリアは、3DCGデザイナーから始まりました。ゲームやTV番組向けCG映像制作 、3DCGにおける業務全般。スクリプト言語による開発(Lingoなど) などです。
その後デザイナー業と平行して、WEB3D特許技術開発の事業開発に関わりました。当時普及が始まっていた光NET回線による大容量通信が可能とするWEB3D空間構築及び表示技術の研究開発です。事業立ち上げの各種マーケティングから始まり、3D空間のデザイン、営業/プレゼンテーションと全般に関わり、事業立ち上げとはどういうものか学びました。
ここで新しい事業が生まれる瞬間に立ち会ったのが後の人生を決めた気がします。デザイナーなのにどうして営業してるんだろう・・・と悩んだ時期もありましたが。(笑)
「気づいたら部下が100人以上に」事業立ち上げ会社員時代
Q:10代の時から、現在に至る「コンテンツ実制作」と、普通クリエイターがあまり手がけない「事業立ち上げ」の両方を担当されていたんですね。
副島:
そう言われてみるとそうですね。その後は、LED表示機を利用した映像配信事業開発に参加しました。
短期間で事業部が大きくなり、北海道〜沖縄までメンバーが常に散っていたため各セクション、スタッフ間のリレーションを重視したマネジメントをしました。そこでは、事業の急成長に伴う急激な人員や営業所の増加にも柔軟に対応する手法を学びました。その他主力システム「MG Engine」の要件定義、機能/画面設計も行い、日本LED市場の形成に一助したと自負しています。
その後自分の会社を立ち上げ、LED事業に数年間携わりました。
Q:WEB3Dデザイナーを出発点に、LEDの事業立上げとマネジメントを経験されました。その後はどうされたのですか?
副島:
LEDでひと通り事業を経験したあとは、株式会社モンスターラボに、鮄川宏樹社長に誘われて入社しました。最終的には執行役員・統括事業部長を務めました。
ここでも業務範囲は案件で様々でした。営業、レベニュー/ロイヤリティ交渉・契約、プロット作成、企画、ゲームシステム/マネタイズ設計、クオリティ管理、運用PDCA策定・ ・・全般に渡り広く携わりました。公開初週で米AppStoreランキング1位を獲得したアプリもあり、その他、多数のwebサービス、アプリ、ゲームのリリースに携わりました。
日本本社と中国子会社の開発部を統括してみていたのですが、退職時には合わせて150名を超える規模になっていました。
中国での事業部立上げ
Q:特に印象に残っている仕事はありますか?
副島:
そうですね、中国子会社である成都支社クリエイティブ事業部の立ち上げです。
国内のソーシャルゲームブームにおけるイラストレーター特需と、同業におけるブルーオーシャンの海外進出 案件をにらんで、中国成都支社にてイラスト制作に特化したクリエイティブ事業部を2012年3月に発足しました。
日本のイラストは独特かつ、ユーザーのこだわりが強いため、制作規約やガイドラインなどを制作すると同時に、中国へ2週間1ヶ月単位で直接指導を行っていました。元々デザイナーをしていたので、「日本のゲームファン向けには、こうやって女の子の目は描くんだ!」って細かな指示を出しつつ、口で言っても通じないので一緒に絵を描いていましたね。
合わせて営業を一人でやっていたので、日本に戻ったら仕事を取りに行き、取ったら中国に行っての繰り返しで、、、当時は辛かったような気がします。(笑)
安定したビジネスモデルでヒットを生み出す、ソーシャルゲーム開発時代
Q:その後はどういったキャリアを歩まれたのでしょうか?
副島:
その後はソーシャルゲーム開発会社の株式会社アプリカ(2015年9月に事業停止)の執行役員 事業推進部部長として、ソーシャルゲーム開発の様々な業務を手がけました。
ローリスク/ミドルリターン型での協業開発を中心に推進し、初期開発費、プロモーション費、運用MGを協業先(発注元)から受託した上で、レベニューシェアを付けるビジネスモデルで開発推進しました。
また、iOS/Androidで多数の自社カジュアルアプリを開発。カジュアルアプリの規模に合わせた小さく、早い開発体制を構築し、毎月アプリリリース、打合せで閃いたアイデアを3日後にはモックで持ち込むなど、カジュアルアプリの実績はアプリカ社カラーの一つとなりました。
バズを狙ったプロモーションも得意で、例えば次のものは自社メディア以外は全てノンプロモーションでの実績を達成しています。オリジナルタイトル「ホモォいじり」での150万ダウンロード、ピークDAU24万(現在は5万程度)、鷹の爪アプリブランド「タカプリ」では累計50万ダウンロード達成。アプリカの開発事業では、「バイオハザード」や「ミリオンアーサー」といった大型IPタイトルの開発と、カジュアルアプリの波に合わせた、小さく、早い開発体制の両輪構築に成功したのが勝因だったと思います。
開発者の採用の難しさを打開するため、協力会社オフィス誘致モデルを開発
副島:
またこの頃から、開発者の採用が難しい当時の状況の打破案として、協力会社をオフィス内に誘致し、発注コントロールする事で経営リスクを切り離した状態で、実質的に飲み込んでしまうようなモデルを構築しました。そうした中で、東京60名、沖縄30名を筆頭に、誘致協力会社20名を合わせ100名超の開発体制がありました。
現在は、株式会社イルカアップスの取締役をメインに活動しています。イルカグループのアプリ開発会社として10名で設立後、秋葉原に230坪のオフィスを新設しています。私が役員を務める会社や仲の良い開発会社を集めることで、常駐スタッフを入れると約140名ほどの開発体制を構築しています。
Q:これまで伺ったLED〜ゲーム開発の中だけでもかなり多岐なお仕事をされていますが、さらにゲーム系アプリとは別に、幅広い業界のコンサルタント業務を請け負ってらっしゃいますよね。
副島:
はい、自動車業界のプラットフォーム事業におけるスマホアプリ開発コンサルティング、海外のR&D支部の立ち上げ、事業計画のサポートなど、相談に応じて様々な業務を担当しています。
Q:ざっくりした質問で恐縮なのですが、どうしてそれだけ沢山のことに取り組めるのでしょうか?
副島:
色んなこと(業種や業務)に興味を持てることが大きいと思います。
1つ言っておきたいのは、私は自分のことを特別な人間とは思っていません。それこそ毎日失敗と反省の日々ですよ。それで怯んだり、遠慮してもしょうがないのを知ってるから、取り返す為にもガシガシ進める訳です。過大評価されることもありますが、、、。
ドラクエで言うと、みんなより少々HP高いとしても、防御力は人並みなので、受けるダメージ(主にハート)は一緒です(笑)
取材・記事作成/林 智彦
撮影/小林 宥太
1980年愛知県生まれ。3DCGデザイナーとしてWEB3D表示技術の特許開発に関わったのをきっかけに、新規事業に傾倒。株式会社モンスターラボ統括事業部長、株式会社アプリカ新規事業部長などを歴任。スマートフォンの隆盛に合わせゲーム開発を目的とした株式会社イルカアップス設立、取締役就任。株式会社DLEの社長室プロデューサーも兼任し、同社オリジナルアニメやコンテンツを用いたデジタルコンテンツ事業、東京ガールズコレクションなどの新規事業に関わる。複数社の役員として新規事業、ゲーム/システム開発を得意分野としマルチに活動中。
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