第3回では、数字の面から介護と仕事の両立の難しさについて見てきました。今回は、介護を経験した女性たちへのインタビューを通じて見えてきたことを、お話ししたいと思います。

介護の実態 献身的な介護の陰にあるもの

Aさんの場合

Aさんは、薬剤師としてパートで週2回薬局で勤務する傍ら、要介護認定4の実父を介護されていました。期間は約6年。認知症などの症状はなく、会話も通常通り可能だったそうです。足が悪く、外出や入浴が困難なため、介助が必要でした。
心臓疾患を抱えるお父さんの体調が悪くなるのは、決まって明け方。お父さんは1階で寝ていて、隣にお母さんがいるものの、耳が悪く、お父さんの異変に気づかない可能性がありました。そのため、2階で寝ているAさんとのホットラインとして、家庭用ナースコールを導入したそうです。ナースコールの音に飛び起きて、駆けつけることもしばしばだったと言います。
Aさんは、お父さんを病院や施設に預けることなく、自宅で看取りました。以前1週間ほど入院した際、みるみる弱っていき、ご飯も食べられなくなった姿を目の当りにしたことが、在宅介護を決意したきっかけだったと言います。「父は、家族が大好きでした。入院期間中、1人で寂しかったんだと思います。この時すでに90歳を超えていましたから、気持ちが弱くなったら終わりだと思ったんです。できるだけ長く、通常通りの生活を続けさせてあげるために、在宅医療に切り替えました。本人もそれを望んでいました。」とおっしゃっていました。

 

家で亡くなった場合、自然死であっても、警察の介入があるのだそうです。場合によっては検死が行われることも。残された家族にとっては、たまらないですよね。そんな事態を避けるために、往診をしてくれる医師、看護師、ケアマネージャーと連携し、必要な体制を整えていったそうです。
Aさんに、一番大変だったことを伺うと、「父のプライド、価値観とぶつかった時。例えば、おむつを勧めても『俺には必要ない』と返され、使ってもらうまでに1年かかりました。銀行や役所の事務手続きを代行する際にも、『ああしろ、こうしろ』と指示されて、『今の時代はそうじゃないのよ』と言っても、『いいから言うことを聞け!』となってしまう。私も譲るようにはしていましたが、父には父なりに大事にしてきた価値観がある。『体が動かないから、任せるしかない』と諦めて任せてくれるまでは、随分喧嘩もしましたね」とのことでした。
Aさんは一人っ子で、他に介護を手伝ってくれる親戚はいません。ご主人が引退後に手伝ってくれるようになったものの、「実の娘の世話になっても、婿の世話にはなりたくない」というお父さんのプライドもあり、大変だったそうです。そこで、ご主人は家事を肩代わりしたり、Aさんが留守中に何かあったら対応する役目として、陰ながら支えてくれたそうです。

 

Bさんの場合

Bさんは、週5で事務員として勤務する傍ら、実母を介護していました。期間は8年ほど。ご自身が仕事をしている間は勤務中のときには、お母さんはデイケアへ行っていました。
Bさんの1日は、超過密スケジュールです。3人の息子と夫のお弁当と朝ごはんを作るために6時に起き、デイケアのお迎えに間に合うよう、お母さんを7時に起こして支度を手伝い、自分の支度もそこそこに8時半に出勤。17時に帰宅し、18時までやっている病院に急いで連れて行き、帰宅してから晩ごはんの支度。お母さんに食べさせ、お風呂の支度、洗濯、洗い物などの家事を終え、寝るのは2時過ぎで、睡眠時間は4時間。こんな過酷な生活を、5~6年も続けたそうです。「緊張状態がずっと続いていたので、その時は辛いとは感じていなかったけれど、ケアマネージャーさんに『大丈夫ですか?お顔が・・・』とよく心配されていました。よほど疲れた顔をしていたのでしょうね」とBさん。本当に、頭が下がります。

 

そんな中で、だんだんとお母さんの忘れっぽさが目立つようになり、「違うでしょ」と正そうとすると、「違うのはあなた!どうしてわかってくれないの!」と反発され、喧嘩になってしまうことが増えてきたそうです。Bさん自身、体力に限界を感じていた上に、「このままでは潰れてしまいますよ」とケアマネージャーさんに勧められたこともあり、悩みに悩んだ末、施設に預けることを決めたそうです。
施設に預けてからも、Bさんの献身的な介護は続きます。毎日仕事帰りに施設に寄り、晩ごはんを食べるのを見てから帰って、その後は他の家族のために時間を使う日々が、2年ほど続きました。その間に、仕事は退職したそうです。

 

亡くなるまでの4か月間は、お母さんの横にベッドを置いてもらい、一緒に寝て、朝6時に帰宅して家事。お昼12時にまた施設に行って18時まで一緒に過ごし、再び帰宅して家族の晩ごはん作ってお風呂に入り、21時頃施設に行って一緒に寝る、という目まぐるしいスケジュールをこなしていました。「私が倒れたら終わりでした。すべての歯車が止まってしまう。九州男児の夫は、右のものを左にも動かさないような人。それでも、『晩ごはんは遅くなってもいいよ』って、少しは私の好きなようにさせてくれました。よくあんな生活してたなぁと思います」と笑って話して下さいました。

 

インタビューを通じて感じた介護の大変さは、下記の3つ。私が子育てをしながら大変だと感じていることとは、全くの別世界でした。

①介護レベルが上がっていく(できないことが増えていく)
②終わりが見えない
③介護される側との関係性

 

子育ては、できることが増えていく楽しさがありますが、介護は逆。しかも、それが自分の親となれば、現実を受け入れるのに時間がかかることでしょう。
子育ては、3年たったらこんな感じ、とマイルストーンも置きやすいですが、介護は終わりが見えません。1年かもしれないし、10年かもしれない。家族ならば「少しでも長く生きてほしい」と願うでしょうが、一方で介護する側が先に倒れてしまう危険性もあります。

 

また、子育てであれば親の価値観を反映しやすいですし、教育・しつけも自分の信じる方向に持っていくことができます。ですが高齢者の場合は、介護者よりも長く生き、様々な経験を通じて培った、価値観やこだわりを持っています。もちろん、それを尊重するべきではありますが、食い違えばストレスにもなります。今回インタビューした方々は、実の親を介護している人たちでした。自分の親なので、価値観はわかっていますし、食い違えば喧嘩してしまえる分、楽なのかもしれません。これが義父母の介護となれば、もっともっと大変になるでしょう。

プロによるサポートと働き方の柔軟性の整備が急務

介護は、「今まで育ててくれた親への恩返し」という捉え方もできます。だから、孝行息子・娘ほど頑張ってしまうのだろうと思います。今回インタビューした方々のように、ここまで献身的にやれるかと言うと、なかなか難しいのではないでしょうか。その時になってみないとわかりませんが、私はやりたい気持ちはあっても、「やれる」とは言えません。
理想は、介護が親子の絆を深める時間になることですが、頑張りすぎて介護する側が倒れたり、苦しんだり、退職に追い込まれたりしては、本末転倒です。介護する側もされる側も、継続的に健全な毎日を過ごせるよう、プロの手を借り、マネジメントしていくことが大事だと痛感しました。

 

こうして見ると、働き方の柔軟性の必要性については、子育て世代よりも切迫していると感じました。これからは、女性だけでなく男性もみっちり介護に関わることになるでしょう。介護休業を心置きなくとれる・辞めずに続けられる環境作りはもちろん、金銭面で大きな負担を強いられないような配慮が必要だと思います。

専門家:天田有美

慶應義塾大学文学部人間科学科卒業後、株式会社リクルート(現リクルートキャリア)へ入社。一貫してHR事業に携わる。2012年、フリーランスへ転身。
キャリアコンサルタントとしてカウンセリングを行うほか、研修講師・面接官などを務める。ライター、チアダンスインストラクターとしても活動中。