フライヤー×サーキュレーションの「知見と経験の循環」企画第12弾。

経営者や有識者の方々がどのような「本」、どのような「人物」から影響を受けたのか「書籍」や「人」を介した知見・経験の循環についてのインタビューです。

今回登場するのは、事業開発コンサルタント・声楽家として活躍されている秋山 ゆかりさん。

インターネット・エンジニアを経て、ボストン・コンサルティング・グループ(BCG)の戦略コンサルタントを務め、イタリアへ声楽留学。帰国後、GE Internationalの戦略・事業開発本部長、日本IBMの事業開発部長等を歴任。2012年に株式会社Leonessaを起業し、政策立案と事業開発コンサルティングを行っています。

ミリオネーゼの仕事術【入門】』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『考えながら走る―グローバル・キャリアを磨く「五つの力」』(早川書房)を出版し、女性のキャリアのロールモデルとしても脚光を浴びている秋山さん。これまでどのようなキャリアの転機を乗り越え、現在の働き方を築いてこられたのでしょうか。

独立のメリット-自分軸で仕事を引き受けるかどうかを決める-

Q:『考えながら走る』には、これまでのご経歴と、その時々の学びが書かれています。この本の発売当時と現在とで、働き方に違いはありますか。

秋山ゆかりさん(以下、秋山):

『考えながら走る』を上梓したときと現在との一番の違いは、9カ月前に子どもが生まれて、働き方が大きく変わったことですね。私は重工業やIT、ヘルスケア、医療の領域を中心に、国内外の事業開発を専門にしてきました。海外政府や企業から仕事を依頼されることも多く、これまでは好きなだけ海外出張をしてきました。ですが、子どもが生まれてからは、子育てのことを考え、海外に行くことが必須条件となる仕事は当面受けないようにしました。起業していてよかったのは、海外出張を受けるかどうか、どれくらいの時間をどこで働くのか、自分の基準に合った仕事を選べるようになっていたことですね。

仕事を受けるかどうかの軸は、「自分がその仕事を心からやりたいかどうか」です。具体的には、「この人と一緒に働くと面白そう」と思えるかどうか、社会に役立つかどうか。そして海外での仕事の場合は「その国に行きたいかどうか」も大事にしています。自分とスタッフの給料を賄えるだけの利益が出せればいいので、案件ごとに高い利益率を得られるかどうかについては、そこまでこだわっていません。会社に属していると、どれだけ社会的意義がある事業でも、投入したリソースに見合う以上の利益が出せるか、次の会社の柱となるような事業規模にできるかどうかが問われますから。

Q:異なる種類の仕事を引き受けるなど、お仕事のポートフォリオを組まれているようなイメージでしょうか。

秋山:

30代前半までは、自分を成長させてマーケット価値を高めるために、IT、英語、事業開発……と複数の強みの柱を築き、キャリアの掛け算を意識していました。ですが、ある程度、競合がいないポジションを確立できた今では、事業開発を主軸に自分のやりたい仕事の専門性を深めていく形にシフトしています。

独立してから、自ら営業することはほとんどありません。これまでの仕事で成果を出し、人との付き合いをきちんとしておけば、紹介で仕事がきます。また「こんな仕事をしたい」「このくらいリソースがあいている」と周囲に素直に伝えておくと、「この人に会ってみたら?」、「こんな仕事があるんだけどどう?」などと、お声掛けいただけるんですよ。こういう仕事や人との出会いはタイミング次第なので、普段から種蒔きをしておけば、芽が出るタイミングがやってくると思っています。

「脳に汗をかくくらい考える」ボストン・コンサルティンググループ時代に学んだこと

Q:ご本を読んでいると、数々の修羅場を経験されていたようですが、中でもキャリアの分岐点となった経験は何でしたか。

秋山:

キャリアの分岐点だったと思うのは、BCGに入ったときとと、GE International(以下GE)に入ったときの2つですね。

まずBCGの4年間で、「脳に汗をかくくらい考えるってこういうことなのか」というのを初めて痛感させられました。当時は少しでも早く成長したい一心で、がむしゃらに仕事をし、勉強をしました。エンジニアから戦略コンサルタントになったばかりの頃は本当に仕事ができなくて、「明日には会社から席がなくなるかもしれない」という危機感と常に隣り合わせ。でも、BCGにいたおかげで、効率的に勉強する方法を身につけ、課題解決力など、ビジネスパーソンとして必要なスキルを磨けたと思います。

元々MBAを取得して事業会社に進むというキャリアを描いていたので、2年くらい経験を積めばいいと当初は思っていました。ですが、仕事を通じてクライアントにインパクトを出せるだけでなく、自分が成長していくのが楽しくて、結局4年間BCGにお世話になることになりました。

「2年間で10年分の経験」GEで学んだシニアマネジメントのあり方

Q:GEでの経験はどのようなものだったのでしょう。

秋山:

2つ目の分岐点となったGEでの戦略・事業開発本部長職時代には、大手企業のシニアマネジメントとは何かを学びました。GEの事業開発職というのは、GEのビジネス・リーダーを輩出してきた登竜門的なポジション。「2年間で10年分の経験を積ませる」と会社が明言していたこともあり、ものすごくたくさんの様々なプロジェクトをするというハードな日々でした。シニアマネジメントの立場でどう行動すべきかを叩き込まれました。BCG時代が課題解決力などを身につける時期だったのに対し、GEでの日々は、次から次にそびえ立つビジネスの壁をどう乗り越えるかを実地で学ぶ時期だったといえます。特に印象に残っているのはリーマン・ショックが起きたときです。ちょうどニューヨークに出張中だった私はすぐに対策プロジェクトに入りましたが、「社員30万人の生活を考える」という経験は初のこと。「このプロジェクト1つこけたらアウト」という極度のプレッシャーのもとで、GEの売上をどう上げていくのか、そのために徹底的に考え、行動し続けた日々でした。

こうした貴重な経験を積ませてくれたBCGやGEには、いくら感謝してもしきれないくらいです。

また、ジェフリー・イメルトさんや藤森義明さんといった一流の方々のトップマネジメントと共に仕事ができたのはをのは非常に良い経験でした。彼らはビジネスシーンではずば抜けて優秀ですが、実は表舞台を一歩離れると、人間的なところもあって。やはり「素で接すること」が大事だということを学びました。

シニアマネジメントに求められるのは、抜かりないファッション戦略

Q:エグゼクティブ向けのトレーニングはどのような内容のものを受けておられたのですか。

秋山:

GEでは経営幹部になると、適切なビジネス判断をするためのトレーニングの一環としてエグゼクティブ・コーチがつけられます。私のコーチは、ジェフリー・イメルトさんのコーチを経験したことがあり、自らも大手企業の役員経験がある女性でした。

GE時代に大きく変わったのは、彼女の徹底指導によって、自分が対外的にどうみられるかを意識するようになったこと。例えばコーチから、社内外での活動を明記の上、次の1週間に着る服を紙に書き出すという課題も出されました。服装がふさわしくないときは、「×」がつけられて返ってくるので、修正する……というのを経て、TPOに応じたリーダーにふさわしい装いやイメージづくりを学んでいくのです。

また、文化的な違いを踏まえて服装を選ぶことも重要だと学びました。アメリカで働くときは、ライス女史(元米国国務長官)のようにマニッシュ(男性的)でコンサバなスタイルが望ましい。一方、「女性らしく」という意識がある程度求められるヨーロッパで働くなら、フランスの政治家、セゴレーヌ・ロワイヤル女史のようにフェミニン(女性的)な面も必要になるというふうに。

やはり女性のマネジメントはマイノリティーですし、服装一つとっても些細なところで外部から非難されるおそれがあるので、ファッション戦略は非常に重要なのです。

あるときは、社員との距離の取り方にも厳しい指摘が入りました。たまたま役職付ではないけれども旧知の知り合いであった社員がいることに気づき、懐かしくてランチをしたですが、「あなたはシニアマネジメント職で、相手は平社員。もし相手がいる部門を売却する決断を下すときに、あなたは冷静に決断できますか?」とコーチから詰め寄られました。なんて厳しいのだろうと思われるかもしれませんが、会社をマネジメントするというのは、社員の育成やチームビルディングのためのランチはいい。しかし、個人的な感情でランチはいけない。すべての行動に私心を挟まず、フェアに行動しなくてはいけないのだと学びました。

エグゼクティブ・コーチから言われて印象的だったのは、「中国の書道の世界では『色々な型を学んだあとに自分の型ができる』という」ということ。いわゆる「守破離」ですが、まずは、ポジションにふさわしい振る舞いのルールに従うことが、その組織で成功するためのキーになると考えています。

キーワードは「フレキシビリティ」。どのような職場・立場でも成果を出し続けるために

Q:数々の壁を乗り越え、どの職場・立場でも成果を出し続けてこられた要因は何だったのでしょうか。

秋山:

フレキシビリティ(柔軟性)が高かったからだと思います。今、明治大学で「芸術思考」を研究しているのですが、フレキシビリティが高い人は、認知的流動性が高いそうです。これは、一つの考え方にとらわれず、色々な条件を勘案しながら、そのときどきで最良の判断をくだす力のこと。例えば、ビジネスをしながら、音楽家として演奏活動を続けるのは難しいと決めつけるのではなく、「演奏とビジネスと両方やるのはどうしたらいい?」と臨機応変に考え、対処するようにしています。「こうあるべきだ」「こうしなきゃ」というルールに固執すると、たちどころに破綻してしまう。世の中の固定観念を手放せるのが、早く危機的状況を乗り越えられるポイントかなぁと思っています。まぁ、諦めが早いともいえるのですが(笑)

家庭でも、このフレキシビリティが発揮されていると思います。仕事が立て込んで部屋の掃除が全てできなくても「赤ちゃんがいるところだけ拭いてきれいにしよう」などと、柔軟に対応しています。私も夫も、家事の分担を固定的に決めるのではなく、優先順位だけ話し合っておき、普段は場合に応じて、どちらかが大変なら、他方が大変な分を補うようにして、育児を乗り切っている真っ最中です。

また、切迫早産で絶対安静を強いられたときも、「会議の出席は電話でもかまわない」と、こちらの状況に理解のあるクライアントと仕事をするようにしていました。元々会社員時代から海外出張でオフィスを離れることが多かったので、現場に立ち会うことが必要な交渉や重要な意思決定の場以外では、電話やメールなどでコミュニケーションが取れ、自分がいなくても部下たちが仕事を回せるような仕組みを整備するようにしていたのです。そのときの経験が今も活きていると思います。

Q:チームで仕組みをうまく回すために意識されていたことは何でしょうか。

秋山:

できる人には信頼してすべて任せますし、「一人ではなかなか仕事を進められない」というタイプの人に仕事をお願いする場合は、全体像を見せた上で、仕事を分割して、一つずつ進めていくマイクロマネジメントをしていました。こまめに進捗確認をして、後で大きなトラブルにならないようリスクヘッジをするのです。
また、現場を定期的に歩き回ったり、「何時から何時なら時間がある」と自分の予定を先に伝えておいたりして、部下たちが報告や相談がしやすい環境をつくるようにしていましたね。

また、こちらが社外の人という立場であっても、できるだけ早く社内の人としてクライアントに思ってもらえるよう、仕事を期待値以上にして信頼関係を築くようにしていました。「この人がいないと困る」という状態をつくりつつも、「この人がいないと現場が回らない」という状態は避ける。「困ったら私を呼んでください」という状態にもっていくのがポイントです。

トラブル解決で噴き出すアドレナリン。事業開発の醍醐味

Q:秋山さんにとって、事業開発の仕事の醍醐味って何でしょうか。

秋山:

事業開発は、会社が生き残るために不可欠なので、世の中からなくなることがない仕事ですし、何より、知的好奇心が刺激される仕事です。

あと事業開発って、何でも屋的な要素があります。新しい事業を立ち上げたり、行き詰った事業の新しい道を切り開いていくためには、採用やマーケティングから、投資家の紹介、プレスリリースの制作まで、ありとあらゆる仕事が求められます。次から次へと新しいトラブルが起こってくるので、「どう対処しようか」と立ち向かうときにアドレナリンがバーッと出ます(笑)「ある会社を買収しようと思っていたけれど、デューディリジェンスしたら、買うに買えない事情が明らかになってしまった。でも、何としてでもこの会社がほしい。どうすればいい?」などと頭を抱えながら解決策を練るのが、大変だけど面白い。一人何役もこなしながら、成果が目に見えて現れるのも、この仕事の醍醐味ですね。

取材・インタビュア/松尾 美里

本の要約サイト フライヤーのインタビューはこちらから!

ご自身のことを「活字中毒末期症状」というほど読書をこよなく愛し、
本から得た知恵をキャリアに活かしてきた秋山さん。
彼女のキャリアの節目を支えてきた本とは何だったのでしょうか?
児童文学から古典まで幅広いラインナップに注目です。

ビブリオン

ノマドジャーナル編集部
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