【連載第1回】

2016年4月からスタートした「電力自由化」。今さら人に聞けない「電力自由化とはなにか?」から、電力自由化によって拡大する8兆円市場の可能性、総合エネルギー企業出現の未来予測など、電力自由化を取り囲む周辺事情を、ステップを踏んで分かりやすく解説していきます。

CMやメディアでも取り上げられている「電力自由化」。

主にビジネスの観点から今後広がる電力市場について解説する本連載第1回では、「そもそもこれまで電力は誰によって提供されてきたのか」「自由化とは何を変えるのか?」をエネルギー自由化を支援するRAUL株式会社の江田健二氏が解説します。

*本連載は2015/12発行の書籍『かんたん解説!!1時間でわかる電力自由化 入門(著:江田 健二)』の内容をもとに再編集しお届けします。

第1回:電力自由化とは何か? その歩みと意味を理解する

日本の電力業界のこれまでと現在

日本には、電力会社が1880年代頃から存在しています。当時は今の街のスーパーなどと同じように、誰でも電気を発電して売ることができたのです。そのため、戦前の日本には何百という電力会社がありました。その頃の電力会社は現在ほど大きな発電施設を持っていたわけではなく、小さな水力や火力発電設備による発電が主でした。それを近所の会社や工場などに、各社が個別で電線をつなげて売っていたのです。

第二次大戦後、GHQ主導で国は電力業界を、北海道、東北、関東、中部、北陸、関西、中国、四国、九州という9つのエリアに分けて、各エリア原則1社ずつの「地域独占」で電力事業を行っていこうということにしました。その後、沖縄電力も加わり、現在(2015年時点)では10の電力会社が地域ごとに日本全体の電力事業を担っています。

「地域独占」とは、発電、送電、配電、売電という電気を消費者に届けるまでの流れを、その地域の電力会社が一貫して行うということです。実際に電気を作ることも、そこで作った電気を各地域に送ることも、最終的に消費者に電気を売って利用してもらうことも、全てをこの10社が地域ごとに独占して、お互い競争せずにやりましょうということになったのです。

電力会社の「地域独占」が日本を支えてきた

そのおかげで、電力会社の間には全く競争がなく「電力の安定供給」というものをひとつの大きな目標として仕事をすすめられ、計画的に設備投資などをすることができました。もし一般企業のように競争があると、どうしても「本当にここに発電設備を作っていいのか?」「いや、ここは経営的に考えると建設をやめておいた方がいいのではないか」などということになりがちです。そうなると、例えば地方に電力が行き届かなくなるような可能性もあります。しかし、日本の電力会社は、そうしたことを考えずにとにかく確実に電力を供給するということを念頭に計画的に設備投資を行い、その結果、日本全体の経済・産業発展に大きく寄与することができたのです。

こうした既存電力会社の市場独占によって、日本では非常に設備投資が充実し、その結果、世界でもトップクラスの電力品質が保たれることとなりました。トップクラスの品質というのは、一つは「電圧や周波数が一定に保たれている」ことです。一定に保たれていないと、電化製品の故障の原因になったり、工場で作る製品に欠陥が出たりします。二つ目は「停電が非常に少ない」ということです。

また、既存の電力会社は公益事業、つまりあまねく安定的に電力を提供するものとして設立されたため、電気の品質維持と同時に、台風や地震などの自然災害が起こって停電した時でも素早くしっかりと復旧を行うということに対して非常に強い熱意、使命感を持ってやってきました。そうした点が、世界的にも非常に高く評価されてきたのです。

電気料金に関しても、世界的に見ると決して安いわけではありませんが、アメリカやヨーロッパの国々と比べるとさほど高いわけでもなく、比較的妥当な水準で推移してきました。このように、これまで日本の電力会社というのは、ある意味、日本経済発展の縁の下の力持ち的な役割を担ってきたのです。

段階的に進められてきた電力自由化

今回の電力自由化とは、簡単に言うと先に述べた電力会社10社による独占市場が壊され、電力事業が自由化されるということです。

ただし、日本の電力自由化は今回初めて行われるわけではなく、これまでも段階的に実施されてきました。世界の電力自由化の流れを受ける形で、日本でも1995年から少しずつ自由化が進められてきたのです。

電力自由化は段階的に進められてきた

1995年に開始された最初の自由化は「発電、送電、配電、売電のうち、発電だけは認可を受ければ誰でもやっていいですよ」という発電事業に関するものです。

次に実施されたのが、2000年の売電(小売事業)の自由化です。申請をして認可を受けた小売電気事業者が、自由に電気を売っていいですよ、というものです。といっても、この時点では小売電気事業者は一般家庭や街の商店、小さな会社などへの電気の販売はできませんでした。あくまでも一定の規模以上の電力消費者や特別高圧受電者、つまり大企業の大規模施設や工場などに限定されていたのです。

その後、2004年、2005年と段階的に、もう少し規模の小さな高圧受電者、例えば、中小規模のスーパーや工場などに売ってもいいですよ、と電力販売の規制のハードルを下げてきたのです。

分かりやすく説明すると、それまでお米を作ることができるのは10社しかなかったのが、「これからは誰でもお米を作っていいですよ、自分たちで食べてもいいですよ」ということになったのが1995年から。次に、「作ったお米を一部の人になら売ってもいいですよ」ということになったのが2000年から。そして「全員とはいかないまでも、もっとたくさんの人に売ってもいいですよ」ということになったのが2004年から2005年にかけて、ということです。

このように、2000年から大規模に電気を使う工場やデパートなどを持っている会社は、自由に電力会社を選べることになりました。それまでは、東京管内にある会社であれば東京電力、関西の会社であれば関西電力からしか電気を買えませんでしたが、東京にある会社も関西電力から買えますし、新しく出てきた電力会社から買えるようになったのです。

ところが、当時実際に電力会社の切り替えを行った会社というのは、対象となる会社のうちの3%程度しかなく、ほとんどの会社はそのまま従来の電力会社を使い続けていました。大きい会社には、従来の電力会社と付き合いや協力関係があるものです。また、値段が安くなると言っても5~10%程度の場合が多く、値段や品質面から考えても、あえて既存の電力会社から見ず知らずの新しい電力会社に鞍替えしようというところは少なかったのです。

ここまで述べてきたように、日本ではかなり以前から段階的に電力の自由化を行ってきたにもかかわらず、新規参入の電力会社への切り替えがあまり進みませんでした。つまり、この20年間、一応自由化はされてきたけれど、業界全体、社会全体にあまり変化が起こらない、という状況が続いてきたのです。

そういった経緯がありましたが、ようやく2016年4月から電力の小売りが完全に自由化され、今回こそは社会的に大きなインパクトがあるのではないかと予想されています。

(次回に続く)

◎本稿は、書籍編集者が目利きした連載で楽しむ読み物サイトBiblionの提供記事です。

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