小豆島(しょうどしま)は瀬戸内海に浮かぶ離島。人口約29000人、面積約150k㎡。瀬戸内海では淡路島に次いで2番目の大きさだ。オリーブ・醤油・そうめん・佃煮・ごま油などの生産が盛んで日本有数の名産地となっているほか、小説「二十四の瞳」の島としても知られる。近年、若者・子育て世代を中心に移住者が増加。瀬戸内国際芸術祭が開催されたり、小豆島高校野球部が甲子園出場を果たしたりと明るいニュースが多い。

首都圏への人口・商業施設の集中から脱却を図る「地方創生」が叫ばれる中、人気のある離島ではどのような地域づくりが行われているのだろうか?そこで、小豆島へ5年前に移住した筆者が、小豆島で活躍する企業・事業・人について取材・発信していく。

第3回は、小豆島で昔ながらの天然醸造と杉樽仕込みの醤油にこだわる、ヤマロク醤油の五代目社長・山本康夫さんにお話しをお伺いした。後編では、木桶づくりの修行をした話と地域活性化にかける想いを中心にお伝えします。

乳酸菌と酵母菌がつくことで醤油の発酵が進む。

醤油屋の新桶が戦後初。桶づくりの挑戦

Q:木桶を自分で作ろうと決めたときの事を教えて下さい。

2009年に新桶を作ってもらった時に「醤油屋の新桶が戦後初」と言われたんです。つまり、それだけ需要がないということで、桶屋さんは組み直しとか漏れ止めはしていたものの、新桶を作った事がない状態でした。

お願いしていたその桶屋さんは大阪の堺にあるのですが、3人兄弟でやっていて三男が今年64歳で跡継ぎがいない。新桶を作ってもらった時に「わしらいつまでするかわからんので、自分の桶自分で直せよ」と言われた。俺の代はいいけど、次の代は桶がないよなと思いました。今回作ったその9本の桶が最後の桶になってしまう。それはいかんなと思って、3人いないと桶は組めないので、個人の大工をしている同級生と友達に頼んで、一緒に修行に行く事にしました。2012年、木桶を3本発注して桶屋さんに3本を使って作り方を教えてもらったんです。その時「色々な所で、自分の桶自分で直せよという話をしたけれど、真に受けて来たのはお前らだけや」と言われた。

みんな結局、自分たちの代は今あるもので使えるし、儲からないから次の世代の事までは考えられない。ある程度の規模の会社になっても、ほとんどの従業員は自分の退職したあとの会社の事は考えない。うち以外は、どこも動かなかったんですね。でも師匠が2020年に廃業するのは決まっているので、リミットは2020年。やらないと仕方がない。同級生の大工は「お前に言われたら、やらなしゃーないやんか(やらないと仕方がない)」と言いながら、一緒に行ってくれました。

木桶で造る醤油は、コクがありとても美味しい。

Q:修行はいかがでしたか?

2日半、泣きそうでした(笑)。ちなみに、小さい桶を作る職人さんが、大きい桶を直すのを習いに来るときは半日で帰ってしまうそうです。なぜかというと、小さい桶と大きい桶では構造はよく似ているけれど作り方が少し違う。大きいのを作れると小さいのは作れるけれど、小さいのができても大きいのを作れない。技術がある人たちなので、「無理」だとわかる。そうすると半日で帰っていくそうです。でもうちらは、どのくらい難しくて無理なのかがさっぱりわからない。とりあえず時間取れるのが3日しかなかったので、3本それぞれ違う途中の工程まで行って、3本使って全工程わかるようにしてもらったんです。

よく「よう2日半でできたな」と言われるけれど、結構必死でした。実は、当初の予定は3日間だったんです。それを何故半日縮めたかというと、竹箍(たけたが)を編む竹を削る道具を作る加治屋さんがこれまた日本に1社しかなくて、12月20日くらいに電話をした所「年末で廃業する」と言われ、兵庫の三木市まで道具を買いに行ったからなんです。当時その職人さんが86歳で「最後のお客さんや」と言って、コーヒー出るわ、いちご大福出るわ、帰りにお土産くれるわで至れり尽くせりでした。こういう大切なものって静かに無くなっていくんですね。

木桶仕込みの醤油が無くなる。だから醤油屋が桶屋をやる

Q:山本さん自身は、どんな事を大事にされているんですか?

誰もやらないなら自分でしたらいいって思ってます。やらないといけない事でも代理が利く場合もあれば、お前しかいないという場合もある。自分しかいない時にやらないという選択をして、大事なものが消えて無くなる。それで支障があるのかと言うと、加治屋さんや桶屋さんが無くなって、知らず知らずのうちに木桶仕込みの醤油が無くなっても、タンクで醤油が作れるから醤油は残る。でも、本当に美味しかった昔の醤油と今のタンクの醤油は全然違う。料理の味も美味しかったものが美味しくなくなる。それを足すために添加物を加えるんです。

結局、無くなったらダメなものがあるのなら誰かがしないといけない。でも、多くの人が「しない」という選択をしすぎる気がしています。そういう事を言い出すとしたほうがいい事は山ほどあるんですけどね。するかしないかの判断基準は「おもろいか、おもろないか」です(笑)面白くない事は続かないので、面白い事だけやったらいい。誰もやらないときに「醤油屋が桶屋やったらおもろいんちゃう」と思いましたね。

木桶に使われる箍(たが)を使った箍フープ世界選手権の運営メンバーと。山本康夫さんも発起人のひとり。

Q:無くなったらダメなものがあるのなら誰かがしないといけない、と。当事者意識が強かったので今回のような取り組みをされているのですね。

当事者意識がないと問題は解決しないんです。上辺だけの問題解決をしても、その場しのぎ、根本は解決しない。上辺だけで問題解決するなら簡単な事はいっぱいあります。その根本が、「おもろいか、おもろないか」なんですよ。

醤油を造る時に出る醤油粕を肥料にした醤トマト。非常に甘く全国の百貨店で、品切れ状態が続く。

小豆島は一気に大変になる手前のいい時代が現在。だからこそ、今のうちに正しい施策を打ち地場産業を盛り上げたい。

Q:小豆島について、地域の課題や解決策についてはどう思われますか?

正直、相当厳しいと思います。地域が活性化するというのは、その地域で働く就業者数が最も多い産業の売上が上がる事ですよね。売上が上がると従業員に払うお給料が増えて、地域で回るお金が増える。小豆島はGDPで言えば、装置産業の食品産業が500~600億円ぐらいでぶっちぎり、次に労働集約型産業の観光産業で50~60億円ぐらいです。この2つが両輪で回ると活性化となる。食品産業が1割落ちると観光がすべて無くなるぐらいのインパクトがあります。

現状、小豆島のお金の仕組みの中でおそらく半分が年金経済です。既にもう結構大変で、今が小豆島の経済のピークだと思います。60歳代のおばちゃんが元気で、芸術祭のボランティアやったりしている。でも10年経つと介護に回りますよ。ボランティアおらん、金が回らないという時代がそこまで来ています。一気に来る時代の一番手前のいい時代が現在で、今がピークです。人口もたぶん思っているより減ると思うんです。でも、一人当たりの居住スペースって今より増えますよね。これはいいと思ってます。

小豆島は、人口がなんだかんだ言っても3万弱いる。これだけインフラが整っていて、維持しながらでも居住スペースが広くなる。そうすると、優秀な人がこちらに入ってくる可能性が増える。移住者は増えていますけど、半分以上は出て行っています。支援がある所とか新しい所に行ってしまったりする。

だからこそ、ターゲット設定をきちんとしないといけないです。もう少しIT環境を整えていって、戦略・戦術を練って、その層にアプローチするなど考えないといけないですね。そういう優秀な人材が小豆島の地場産業に就職すると、地場産業の価値が高まります。もっと我々は、ブランディングやマーケティングの感覚を持たないといけない。目的・ターゲット・戦略・戦術という話をするときに、戦術論から入りがちですが、そうではなくて目的から入らないといけないですよね。きちんと施策を打つ事で、地場産業を盛り上げていきたいです。

数々の取材を受けて来たヤマロク醤油。

ヤマロク醤油への取材を通して感じたのは、社長の当事者意識の強さだ。当事者意識が高いからこそ、問題解決に向けての行動が明確だ。「やる」と決める判断軸は「おもろいか・おもろくないか」だから、面白みがある。気付かない間に消えていくものがある中で、後世に残すために見えない所で努力する職人たちがいる。改めて、日常に当たり前のようにあるもののありがたみを感じながら、生きていきたいと感じた。

専門家:城石 果純

早稲田大学人間科学部卒業後、株式会社リクルートに入社。
入社2年目に第1子を出産した事で、時間あたり生産性の概念に興味を持つ。
第2子出産時に小豆島に移住。それ以後、時間と場所に制約を抱えながら
MVP・通期表彰などの事業表彰を獲得し続けた事で、
リクルートグループがリモートワークに取り組むきっかけを作った。
現在は、「地域と組織のサポーター」としてフリーランスで活動。小豆島在住の3児の母。
地域の良いものを掘り起こしてコーディネートする事と「ひとのチカラ」を活かす事を大切にしている。