過労死が社会問題として顕在化したことを受け、昨年、働き方改革実現会議が立ち上がり長時間労働の解消に向けた本格的な議論がスタートしました。そして今年3月、同会議は実行計画を決定しました。安倍総理はこれを「働き方を変える改革にとって歴史的な一歩」と位置付けています。

実行計画には、時間外労働の上限規制が盛り込まれました。今回は、これまでの経緯を振り返りながら新しい労働時間規制の持つ意味を考えてみます。果たして新しい労働時間規制は真の改革となり得るのでしょうか。

1.36協定に内在する危険性!新しい労働時間規制は命と健康を守れるか

まず、長時間労働の問題について、少し振り返ってみることにしましょう。

時間外労働が増えてきた背景には企業運営の構造的な問題がありました。

景気がよくなり業務量が増えた場合、新たな労働者の雇い入れで対応することが考えられます。しかし、いずれ景気が悪くなり、再び業務量が減る可能性を考えれば、使用者としては新たな労働者の雇い入れを躊躇するでしょう。景気が悪くなったからといって、労働者をクビにはできません。過剰な雇用は企業経営を圧迫します。その危険を回避するため、使用者は景気の変動にも最小人員で対応する必要に迫られているのです。

こうしたことから、使用者は業務量の増加に対して労働者をできる限り現状維持し、一人あたりの労働時間を増やすことで対応しようとします。そして多くの企業で長時間労働が常態化し、過労死等の問題へと発展してきました。

労働基準法は、1日8時間、1週40時間を法定労働時間として遵守することを規定しています。この労働時間に対する規制は労働者の命と健康を守るためのものです。そういった意味で法定労働時間は岩盤規制でなければなりません。しかし使用者と労働者の双方にとってメリットがあるなら、厳格な要件の下で規制緩和としての例外を認める意義があり、これまで、36協定、変形労働時間制、裁量労働制、事業場外みなし労働制、フレックスタイム制等が例外として認められてきました。

ところが、36協定には、労使協定の名の下に時間外労働が実質的に青天井となり、過労死につながるような長時間労働が正当化されるという大きな危険性が含まれています。36協定のような例外を認めるとしても、労働基準法の趣旨に反して労働者の命や健康を害してはならないのであって、過労死を誘発するような濫用的運用には正当性はないといえるでしょう。

こうした流れを受け、時間外労働に対する規制の必要性が叫ばれるようになりました。

実行計画では、36協定により青天井となっていた時間外労働に歯止めをかけるため、36協定によっても超えることのできない時間外労働の上限が決められました。しかし、議論の末決められた上限は、最高で月100時間という予想以上のレベルのものとなりました。

なぜ、このような緩い例外を認めることになったのでしょうか。その答えは、働き方改革会議で議論された流れを見れば明らかになります。

2.熾烈な綱引き合戦!36協定をめぐる使用者と労働者

過労死問題がクローズアップされた昨年来、政府は36協定によって無制限に認められてきた時間外労働への対応に迫られていました。本来なら36協定を廃止し、労働基準法の原則を遵守することで労働者の命と健康を守る、というのが理想です。

しかしそうすると、使用者としては業務量の増加に新たな雇い入れで対応せざるを得ません。そこで登場するのが、派遣、パート、アルバイトといった非正規労働者たちです。これら非正規労働者は、業務量の増減に応じた人員計画を可能とする、いわば雇用の調整弁として活用されてきました。

ところが非正規労働者には常に失業に対する不安が付きまといます。年功制もないのでいつまで経っても低賃金のままです。総務省労働力調査によれば、約37%がこのような不安を抱えた非正規労働者です。生活不安を抱えた労働者が4割弱ともなれば、安倍総理の掲げる「一億総活躍」は絵に描いた餅になってしまいます。

そこで実行計画では「同一労働同一賃金」という考え方を取り入れました。たとえ非正規労働者であっても、正規労働者と同じ内容の仕事をするなら対等な処遇で雇用しなさいというのです。賞与や福利厚生も同様とすることによって、非正規労働者の立場を安定させ、多様な働き方を選択できる環境づくりを目指す考え方です。

しかしこれに対し、非正規労働者を低賃金の雇用調整弁として活用してきた使用者サイドは猛反発したのです。正規労働者と対等な処遇で非正規労働者を雇用しなければならないとすれば、人件費がかさむからです。結局、折衷案として36協定という例外を残す代わりに、時間外労働の上限を決めるということになりました。

次に議論は時間外労働をどの程度まで許すのかという点に移り、できる限り上限を高めたい使用者と原則に近づけたい労働者との間で綱引きが始まりました。そして有識者の意見や世論も見据えた結果、例外として月45時間、年間360時間を時間外労働の上限とし、さらに例外の例外として、単月100時間、2~6か月間の月平均80時間、年間720時間まで時間外労働を認めることが実行計画に定められたのです。

3.過労死ラインと同等の上限規制に意味はあるのか?

健康被害と長時間労働との関係については、時間外労働が発症1か月前は100時間を超える、または、発症2~6か月前において80時間を超える場合には、両者の関連性が強いとされています。これがいわゆる「過労死ライン」です。実行計画で決定された上限規制は過労死ラインと同等です。つまり時間外労働は過労死ラインまで認められることになるのです。

過労死ラインは時間外労働と過労死との因果関係について類型化された指標であって、時間外労働としての是非を問う基準ではありません。しかし、上限規制が法律に明記されるようになれば、それは時間外労働として許される基準として機能することになります。

上限規制は、労働者を死ぬまで働かせる権利を使用者に与えたということでしょうか。

4.まとめ

働き方改革実現会議では、長時間労働を解消するための議論が展開され、時間外労働に対する上限規制が定められました。しかし、その上限は、過労死ラインの同等という驚くべきものでした。限りなく過労死に近づくような時間外労働を認めることは、過労死問題に端を発した長時間労働の解消というテーマと矛盾しないでしょうか。

新しい労働時間規制は、長時間労働の本質を見ることなく使用者側に配慮した結果の産物に思えます。これでは過労死で尊い命をなくされた方々が浮かばれません。この国の労働行政はどこへ向かっているのでしょうか。みなさんは、どう思われますか。

記事制作/白井龍

ノマドジャーナル編集部
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