ビジネスノマドとの関わりによってキャリア形成に大きな影響を受け、新卒でベンチャー創業期のメンバーに入りながらスキルを身につけ独立していった事例です。

第4回は、新規事業ノマドによる事業立ち上げ支援について伺いしました。志賀 大さんの社団法人の立ち上げ経験で得たものをベースに、ベンチャー人材として得たもの、そして独立までを伺いました。

事業立ち上げで経験した、事業責任者と部門担当者の大きな違い

Q:ここまでで、ケアプロ内の新規事業立ち上げまでを伺いました。インターンから営業、バックオフィスを経て新規事業立上げ経験、これは貴重な経験だったのではないかと思います。

守屋 実(以下、守屋):

志賀さんに関しては、その社団法人の代表としての経験は特に大きかったんだと思います。それまで色んなことをやってきたけども、あくまでケアプロの社員、その部門の責任者でしかなかった。そこが全体責任者になるっていうのは全然違う話だったと思うんですよ。

志賀 大(以下、志賀):

全然違いました。まず代表として相手と対するところが1番違います。あとは会社を経営することに付随する雑務の多さに驚きました。現在の事業は、法人立ち上げとしては2回目になるので、まさにそれに直面していますが、当時の社団法人の事業立ち上げ経験は大きく役立っています。

守屋:

会社経営すると、なんでこんなことにお金かかるんだろう、と思うところにかかったりするよね。実際に経営者にならないと見えないことも多いんです。

志賀:

そうですね、社員の時は感じないことも多いですよね。現在の法人立ち上げでも、不意に必要な金額があっても、驚かなくて済むのは社団法人立ち上げの経験のお陰だと思っています。この時の社団法人立ち上げの経験は、今思えば事業を立ち上げるよい準備になりました。

守屋:

経営者としての心構えができたってことだね。

志賀:

はい。結果としていい疑似体験をさせてもらいました。

会社の成長曲線を自分の成長曲線が超えてしまう

Q:志賀さんは、営業やバックオフィスへの社内異動、社団法人立ち上げや現在の独立など、数年ごとに仕事の内容が変わっています。こういった変遷を経たのは、自身の中での目的意識やキャリアについての考えがあったのですか?

志賀:

2年目で営業がわりとうまくいって、バックオフィスに移って、30人くらいの人たちをマネジメントさせてもらった時に、なんとなくこれをそのまま繰り返すことでは、自分が成長しているイメージが薄らいできている感覚がありました。

守屋:

あのとき、志賀さんはそれまでと比べて学ぶことが少なくなったような感覚になった。当時の会社の成長スピードよりも志賀さんの成長スピードのほうが早かった。会社のフェーズも変わって組織もできてきたので、会社の成長曲線を個人の成長曲線が超えてしまったのだと思います。

Q:創業時とその後の成長期では会社の成長の仕方も異なると思いますが、個人の成長と会社の成長がうまくかみ合わなくなってきてしまった。

守屋:

フロントの営業やって、バックオフィスもやって、社団法人の代表もやったと。壁にあたりながらも、結果として乗り越えることができてしまった。

志賀:

そうですね。ケアプロの事業自体には今でもすごく共感しています。ただ、最初に述べた2つの軸(「自分がワクワクしているかどうか」と、「人の役に立つかどうか」)のうち、「人の役に立っているか」という部分は継続して感じられていましたが、もう一つの「ワクワク」が減ってきていました。

会社が安定軌道に。休日に休める!という違和感

Q:なるほど、いろんなスキルを身につけて立ち上げフェーズから一定の安定的な成長軌道が見えてきたタイミングで次のチャレンジに踏み出した感じですね。

志賀:

大きなフェーズの変化を感じたのは、当時、自分たちの事業の法的整備が整ってないグレーゾーンだったのですが、そこの部分を整えることができたことです。

(※ケアプロ社はセルフ健康チェックサービスを展開し、血液検査においては自己採血によるセルフ健康チェックサービスを提供してきたが、これまで、自己採血検査の法的位置づけが不明確であるといった見方があり、いわゆるグレーゾーンとして扱われてきました。しかし2014年に「グレーゾーン解消制度」が創設され、厚生労働省から「検体測定室に関するガイドライン」が発表され、ケアプロは「検体測定室」開設者第1号として申請が受理された。)

厚労省と一緒に制度を整え、さらには政府系ファンドの資金調達も完了(2014年11月、ケアプロは、政府系投資会社の地域経済活性化支援機構が設立した地域ヘルスケア産業支援ファンドを割当先とする第三者割当増資を発表した)し、人材による実働支援も受けられた。そうすると、成長するための地盤は完璧に固まったわけです。資金的にも、制度的にも。そのタイミングと、自分とケアプロとの区切り感が丁度良かったんです。

Q:地盤が固まって、会社の知名度も上がって、これからさらに成長していくようなフェーズになり、むしろより面白くなってきたのではないでしょうか。

志賀:

もちろん、今までにないくらい一気に市場が成長していくところからも、学ぶことは確かにあると思うんですが、新しいことを生み出すところに自分は「ワクワク」を感じる傾向があるので、広がることが確定している事業にそこまで魅力を感じなかったのかもしれません。

守屋:

会社も成長フェーズが変わって、組織化もされてくると、決まった業務の中で、改善を積み重ねていくことが中心になります。もちろんそれも重要ですが、新しいことを創りだすとか、生み出す感覚は以前ほどなくなってしまう。志賀さんのように、創業期の立ち上げ人材としてビジネスの形ができてくるフェーズに「ワクワク」を感じる人は、安定軌道に乗ってきてもそれほどボルテージが上がらないのかもしれませんね。

志賀:

加えて、これもマネジメントが当時うまくいっていたからかもしれないですが、自分が何もやらなくても回るようになったんです。だから普通に休日に休めるようになった(笑)。それまでずっとあった、「あれやらなきゃ、これやらなきゃ」という切迫感・危機感もそれほどなくなってしまった。そういう状況がしばらく続いて、休日に休んでも遊んでも、やっぱちょっと違うなと。

《編集後記》

それまでは、切迫感や危機感が常にあって、たくさんのTODOに駆り立てられていたのが、休日には休めるようになった。組織が機能してきたタイミングですね。ベンチャーの創業期のスピード感や事業を創っている感覚を体験していると、違和感が出てくるのかもしれません。むしろインターンからの入社で、創業期の経験しかしていない場合は、特に顕著な事例かと思います。
次回は、次の選択肢を考えたときにどのように独立に至ったのか、そのような人材の事例や組織の課題を多く見てきて、今回も志賀さんからの相談を受けていた守屋さんからお話を伺います。

取材・インタビュア協力・撮影/サーキュレーション インターン生 小林

【専門家】守屋実
1992年に株式会社ミスミ(現ミスミグループ本社)に入社後、新市場開発室で、新規事業の開発に従事。メディカル、フード、オフィスの3分野への参入を提案後、自らは、メディカル事業の立上げに従事。2002年に新規事業の専門会社、株式会社エムアウトを、ミスミ創業オーナーの田口氏とともに創業、複数の事業の立上げおよび売却を実施後、2010年、守屋実事務所を設立。設立前、および設立間もないベンチャーを主な対象に、新規事業創出の専門家として活動。投資を実行、役員に就任して、自ら事業責任を負うスタイルを基本とする。2016年現在、ラクスル株式会社、ケアプロ株式会社、メディバンクス株式会社、株式会社ジーンクエスト、株式会社サウンドファン、ブティックス株式会社、株式会社SEEDATAの取締役などを兼任。
【専門家】志賀大
2010年にケアプロ株式会社に創業期メンバーとして参画。当時日本初のサービスであるワンコイン健診サービス(現:セルフ健康チェックサービス)の責任者として従事。退社をする2015年までに、営業・採用・事務・広報・ロジスティクスなどを経験。ケアプロ在籍中に一般社団法人みんなの健康を2011年に設立。2015年にみんなの健康を株式会社として再度設立し、日本で初めて行政より民間委託を受けた、一次救急専門のクリニック「いおうじ応急クリニック」を開始。医療機関の創業・開業やヘルスケア分野におけるコンサルティングを行う形で活動をしている。2016年現在では、年間自宅看取り件数が国内5本の指に入る在宅医療法人にてハンズオンコンサルティングも行っている。
ノマドジャーナル編集部
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